昔、小学校低学年の頃
おままごとをしていて、ほんの子供の気まぐれで
何か植物を育てたくなった事があったんですよ。
それで近所の駐車場に行って
そこに大量に生えていた雑草の中から
テキトーに綺麗な形の芽を摘んで、底に穴の空いたバケツに
土を入れてそこに芽を植えて水かけて遊んでたんです🌱
とはいえ子供のやる事なので、3日でしっかり飽きて
そのまま私はその芽を放置していて
その後は庭いじりが趣味のお爺ちゃんが自分の植物のついでで
水をやっていたらしいんですね。
雑草はみるみる背を伸ばしていくわけです。
で、真夏の暑い日についにその雑草に花が咲きました!
ひまわりの花が!!!
お前、、、ひまわりだったんか!
とびっくりでしたね。
私が芽を摘んだ駐車場にはもちろんひまわりなんてなくて
花があるとしたらたんぽぽやシロツメクサ程度の
本当に雑草だらけの場所だったのに、
何千ある芽の中からたまたま選んだ芽が
たまたま何らかの理由でそこに運ばれたひまわりの種だったんです
キセキだなー!って出来事でした✨
前置きがめっちゃ長くなりました💦
タイトル見て
コイツ変な宗教でも入ってるんかな
とか思ったかもしれないですけど違いますよ笑
キセキって色んな所で起きているわけなんですけど
今日書く内容は一言でキセキだけでは片付けられないような
そんな出来事です。。。
私たちがまだ小学生の頃、
妹が下校中に道で死んでしまったヒヨドリを抱えて
帰ってきた事がありました。
妹が拾った時にはまだ僅かに温かさが残った状態だったそうです。
寒い冬の出来事で、その小鳥も体力が限界だったのか
事故なのか、原因は不明でしたが、
妹が「可哀想だ」としきりに嘆いたので
母とみんなで土に植えてやろうという話になったんです。
ただ、まだ地面は凍りついている気温だったので
その時は一旦家の笹の葉の影に置いておき、後日土に植えようと話し合いました。
数日後
妹と従兄弟がピアノを弾いている私のところに慌てて飛んできたんです
「鳥の形の氷ができてる!!」
と。
意味がわからずに私も現場に行ってびっくりしました
そこに先日置いたはずの小鳥の亡骸は
どこかに無くなってしまっていて
まるでその鳥が姿を変えたような氷がその笹の枝に出来ていたんです!
小鳥の亡骸を置いた場所の上に
人の手で作ったわけではなく
自然に鳥の形の氷が出来る…
どれだけ高い確率で考えてもなかなかあり得ない出来事じゃないですか!?
いやいや、鳥の形の氷って、
無理矢理そう見えるように誘導した思考で見てるからでしょ
って思うじゃないですか
母が撮った当時の写真なんですけど
これ、どう見ても鳥が木に止まっているように見えませんか??
人の手を一切加えずにこの形になったんですよ!?
隣の笹の葉がひっついてしまった跡が残ってしまっていますけど
クチバシらしき先があって
首元にはくびれがあって
尾羽が後ろ側から長めに伸びてて
枝に絡んだ氷は二本の足と同じように二つに分かれているんです
さらにはこの場所以外につららが沢山あるなら
まぐれでこの形が出来たのかな、と思うんですけど
この氷の鳥以外にこの場所には一箇所もつららは出来ていないんです。
勿論この鳥の上を見ても水が垂れるような場所はないし
そもそもなぜ、下に垂れるわけではなく
この細い線の上に向かってこんな風につららが出来たのか
たまたま出来たにしては不自然なくらい
この氷は鳥の形をしているんですよね。
これはあの小鳥の魂が氷になったんじゃないか…
自分は魂とか死後の世界とか
あまり非科学的な話は信じないタイプでしたが
これはそう思いざるを得ない出来事でした。
あれから何十年も経って、ピノが亡くなってしまった時、
私はよく言われている「虹の橋」の詩を読んでも、
何となく人間目線で作られている感覚がしてしまって
(素敵な詩なんですけど、)
あくまでペットロスの人間の気持ちを
和らげるためのものにしか感じる事が出来なかったんです。
でも辛くて悲しくて仕方がない日々の中でこの経験をふと思い出して
少し気持ちが楽になりました。
ピノの魂はまだきっとある。
肉体から離れただけで
きっと今度こそ空を自由に飛んでくれている
そう思えば少し罪悪感がなくなるというか。
勿論きっとこれも私の自己満足に過ぎない考え方の一つでしょうけど
もしこの話が他のペットロスに苦しむ人たちの
少しでも救いになったらと思い、ここに書きました。
0コメント